なぜ学ぶのかを真面目に考えた


問い:何故学ぶのか? → 答え:自由になるため

このエントリを読んでちょっと考えてみた。結論から言うと、自分は「自由になりたい」と「知りたい」と欲求が人間が勉強する動力源になってると思う。

■自由を得るため→知りたいという欲求の順番

確かに勉強は自由になる手段として有効です。知識がつけばいい職につける可能性がぐっと広がるし、いい職につけばお金がたくさんもらえて人生の選択が広がって自由が広がる可能性が高い。

ただ、もともと経済的に自由なお金持ちの子供でも学問にのめり込む人は少なくない。例えば、イギリスの貴族の子供とか。最近出た成毛さんの本によると、科学とか歴史など、金融業界やIT業界に比べて換金性の低い分野ではヨーロッパ人の業績がアメリカに比べて高いらしい。

これは、アメリカ人は貧乏から一攫千金を狙う人が多いけど、ヨーロッパの金持ちの子供たちは経済的に自由があるから、あまり食えない学問分野に進むことが可能なんじゃないかという説を書いてた。

で、話を戻すと、この人達はある程度経済的な自由を手に入れているのに勉強してることになる。なんでかといえば、人間が本来持つ「知りたい」という欲求が大きな要素になってるんだろうと自分は思うわけです。最初は経済的自由を手に入れるのが重要で、その次は知的好奇心を満たすのが目的になる感じで、マズローの欲求段階説みたいなイメージです。

うむ、なるほど。。と自分で納得した後に、いやいや単純な段階説ではないのではないかと思い直してみた。

■ふたつの欲求は連動していそう

まず、経済的な自由が十分満たされて、様々な自由度が高い状態だと、「知りたい」という欲求が勉強のモチベーションとして強いと最初は考えた。でも、そもそも勉強をすることは自分の頭の中の視野を広げることになる。そうなると、これまで考えていた常識から外れた考えを手に入れることができたりする。

つまり、自分の考えを縛っている「常識」であったり、「慣習」などの考え方から自由になるために勉強をするとも考えられたりする。こうなると、経済的な自由を手に入れても、自分の頭の中を縛っている固定観念から自由になるために勉強をすると考えることもできちゃう。

さらにいうと、貧乏な状態から脱出するための手段として勉強している人でも、「知りたい」という欲求が勉強の動力源になっているはず。換金性がある目的というだけでは勉強は長続きしないから、やっぱり自分の好きな分野を誰でもやろうとするし。

というわけで、人間が学ぶ目的は「自由になること」と「知りたい」という欲求を満たすことだと思ったしだいであります。

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